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事務局より

清水真哉

 著名なイラストレーターである真鍋博氏に、『歩行文明』(中公文庫・絶版)という1974年に最初に出版(PHP研究所)された著作がある。現在、版元での入手が出来ないので古本をインターネットで入手して、この夏に読んだ。
 クルマ社会の問題というと交通事故、地球温暖化、大気汚染による健康被害といった顕著に目に立つ事柄がもっぱら語られる。それはこうした問題の深刻さからして当然のことなのだが、私たちに見え難いところでクルマ及びそれを走らせる道、クルマを利用した生活形態は、人間のあり方、人間同士の関わり方、自然との対し方、町の作り方などまでを深い所で変質させてしまっている。しかし物事に慣れてしまい易い私たちは十分そのことに気が付いていない。そこに強く目を向けさせてくれるのが真鍋氏のこの『歩行文明』だ。
 著者は、坂道、迷路、路地、広場と様々な道を観察しながら、自然や町と人々との関わり、歩くことを通した人間同士の関わりを見つめている。そして歩くことの価値を考えている。人は車に乗っていては自然を感じ難いし、社会とも触れ合わない。ところが歩くと常に自然を感じるし、出会いがある。
 人間社会を築く上での歩くことの重要性は、「歩いて行ける距離・・・それは社会生活の根本原則だ。」「歩いていける範囲、それが安心の最低基本距離ということなのである。」(P34)として強調される。
 そして歩行都市には中距離・中量・中速の交通機関が必要だ(P36,P155)等、交通問題への理解も的確だ。
 とは言え、これは決して理論的な著作ではなく、「歩くことの楽しさを子供たちに伝えたい」(P30)とする著者による、歩いて暮らすことの美学の宣言である。
 モータリゼーションが本格化し始め、クルマ社会への問題意識が生じ始めた1960年代末から70年代には、湯川利和『マイカー亡国論−未来都市建設のために』(1968)、富山和子『自動車よ驕るなかれ』(1970)、西村肇『裁かれる自動車』(1976)、上田篤『くるまは弱者のもの−ツボグルマの提唱』(1979)など、文明論的な大局から見た、クルマ社会を問い直す運動からすると古典的価値を有する書籍が何冊も書かれている。ところがこれらの名著が現在ことごとく絶版となっているのは惜しむべきことである。なんとか復刊することは出来ないものであろうか。